プロローグ〜こうして物語は始まった〜
「ぎああああああああああああっっっ」
甲高い呻き声が、2階の第二王子ディライトの部屋から響いた。
「ディー?! どうしたの!」
自室で休んでいた第一王子アレハンドは、弟王子の部屋に駆けつけた。
周囲に甘い香りが立ち込め、入り口近くでは待機していた警備兵や侍女が倒れている。
アレハンドは中に飛び込み、息を呑んだ。
左手に先が赤黒く燃える焼きごて、右手にディライトの髪をわし掴みにして王后サンドラが立っていた。そして痛みに左腕を押さえて泣き叫んでいるディライトの姿があった。
「母上、何をなさっているのですかっ!」
アレハンドの声に、王后はゆっくりと振り返った。
王后の右手が緩み、ディライトは開放された。アレハンドは、腕を抱えてうずくまっている弟に急いで駆け寄り、彼女から守るように小さな体を抱きしめた。弟王子の腕から肉の焼けた匂いがした。
暖炉の火に照らされて浮かび上がった王后の面は美しく整っており、金髪碧眼。天使や妖精に例えられて称えられたその容姿は、今、アレハンドの目には、悪魔か死神のように写っていた。
「ディライト様!」
「いかがなさいました?!」
見回りをしていた兵達の、駆けてくる足音が聞こえる。
「桶に水を用意して! そして医者を呼んで。大至急!!」
アレハンドは指示を出し、痛みと泣き疲れで、次第に力なくぐったりとしはじめた弟を近くにあった毛布で包み、
「ディー、大丈夫だよ。もう大丈夫だから」
と語り掛け、抱きしめ続けた。
「二度とは見られぬ顔にしてやろうと思ったのに。手元が狂ったわ」
その声にアレハンドが見上げると、兵士に押さえつけられながら王后は薄っすらと笑っていた。
「母上……」
「卑しいあの女の血を引きながら王子などおこがましい。奴隷が相応。焼印も良く似合うわ。おや?」
今到着したばかりらしく、髪と息を乱して近づいてくる銀髪で紫紺の瞳の美しい女性を目に留め、王后の瞳は憎しみで眇められた。
「お前さえ現れなければ……。大人しく毒で死んでおれば良かったものを」
女性は、妾妃で第二の妃であり、ディライト第二王子の母であるルナ妃。ルナ妃は、アレハンドからディライトを受け取り、侍女が届けた桶の水にディライトの左腕をつけて冷やしながら、ギッと王后を睨み付けた。
呪いの言葉を吐き兵に連行されていく王后の姿を、アレハンドは悲しみに満ちた顔で見つめ続けた。
その夜ディライトは発熱した。医者が火傷の手当を終えて薬を処方して去ったが、アレハンドは弟の枕元で手を握り続けていた。
「アレハンド様、後は私が。容態も落ち着いてきましたし、お休みになって下さいね」
ルナ妃は、濡らした布でディライトの額の汗をぬぐい、アレハンドに微笑みかけた。
翌朝、アレハンドは再度弟を見舞いに部屋を訪れた。
しかし。
ディライト王子もルナ妃も、姿を消しており部屋には無かった。城中、そして王室の医師の元も探したが、彼らの姿を見つけることは出来なかった。